失望という落とし穴

不調和エネルギーや不調和な存在を浄化して、うだうだな自分にさよならを!

過去世から引き継いできた繰り返される問題を根こそぎクリアの最強メソッドSRT

ネイティブアメリカンのシャーマンヒーリングで天と地の絆 the グランドファーザーメソッド

好きと自由で私を生きる自分軸講座!などなどお届けしております。

 

★cocoのホンマルラジオ配信中★

cocoがパーソナリティをつとめる
サヨナラ!行き詰まり人生。開運☆幸せ人生の極意教えます

今回は『coco未浄化霊にノックアウトされる、ハイセルフの言葉を信じようね』『人生を花ひらかせるキーワードは●●●』などなど話しています。

 

こんにちはcocoでっす。

SRTの話もせず・・・ひたすら書きたいことを書いている日々・・・

 

 

SRTのお客様はSRTパーソナルコンサルタントさんから

「cocoさんがお勧めする他のSRTコンサルタントさんっていらっしゃいますか?」
と聞かれることがある。

cocoさんが良いと思う人のセッションも受けてみたいと思われているようで、ありがたいのですが・・・

 

「日本で他の方のセッションを受けたことが無いので分かりません。どうぞ、直観のままに。きっとご縁のある方に惹かれるはず」

というのが答えだったりする。

 

私のセッションは・・・
他のSRTをされる方よりも、多分だけど・・・情報量が格段に多い。
またハイセルフさんたちからいただいた抽象的なメッセージどのような行動を意味するのか、思考の在り方などを、かなり実践的に伝えていると思う。

 

これは臨床心理士としての訓練を受けているが故・・・伝え方も具体的になっている。

 

かなり細かい内容です。

 

時間や質から鑑みても、絶対的に安価だと思う。

セッション後の1週間以内のフォローアップもつけている。

クリアしたエネルギーを、“無意識なんだけど、手放すことができない人が時々いらっしゃる”のです。
すると、なんとなくドヨンとしたり、体に痛みが出たり・・・

それでSRTって怖いとか…、効果がなかったと思われるのは、とても悲しいので。

 

 

でも、他の人のセッションを受けても、問題、課題をみる角度が異なり、さらにクリアになっていくのも確かです。

魂というのは、当たり前ですが、とても多層的に繊細なのです。

 

話は変わります。

 

前に、我が父の辛い若かりし時をブログに書きました。

先祖の因縁を解く(序章編)

 

最近、恋愛相談が多く・・・記憶が喚起されたものですね(苦笑)。

 

cocoパパの母親、茂子さんの自由な振る舞いについてです。

 

中学生の子ども(cocoパパ)が家に帰宅したら、ちゃぶ台の上に“お握り二つ”。
母親は自分の家庭教師だった男性の元に、突然嫁入り…
15歳も年下の男性の元に…子供をおいて嫁入りしたわけです。

 

中学生の子供です。寂しくて母親に会いたいです。

お金のない中、母親に会いにいったcocoパパに「自分を母親だと思うな」と言って裏門で追い返す・・・

帰りの交通費もくれず、cocoパパは遠距離を泣きながら歩いて帰った・・・

 

などなど・・・涙です。

 

 

cocoパパの空虚感は、SRTを繰り返しても消えなかった。
cocoパパは明るい人だったのですが…まぁ心理学を学ぶ娘なんて持つと、丸見えね!

 

それ故に、私は、cocoパパが天に戻った時、悲しさよりも安堵が大きかった。

やっと、大いなる存在の愛を感じて、自分はこんなにも愛されている存在なんだと感じてくれるだろうと確信があったからです。

 

 

私のもとに来る既婚者の恋愛相談・・・皆様、子どもちゃんのことを本当に大切にして、愛しています。

 

そういう人でなかったら、私もイケイケgogo!

自分に素直に!と、私は言わない。

 

 

自分を大切にする生き方には、責任も伴うからです。

 

他者の魂を大切にするっていう責任。

 

何か不都合なことが起きた時、他者の所為、子どもの所為にする人は、平気で他者の魂を傷つけることをする。

それは・・・最終的には、自分の魂を傷つけることになります。

 

 

それは「過去世の問題だから」と自分を正当化する方がいるのであれば、それを乗り越えるために親子になったのだろうと私は応えます。

 

もちろん、子どもがある程度の年齢になるまでの話・・・ですけどね。
子どもがある程度の年令になったならば、自己責任で何してもいいんじゃないですか?って答えちゃう。

 

話が飛ぶ…わけではないのですが、
私は宮部みゆきさんの「ぼんくら」という時代小説が大好きです。
その第二シリーズ「日暮し」に、葵という女性が出てきます。

 

葵は暴力をふるう夫から逃げ、大きな商家で成功を収めた叔父の元に逃げ込んできます。
葵はとても美しい女性でしたので、自然、叔父と恋仲になってしまうわけですぅ。

 

が、葵は気の強い女性なのでしょうね…
叔父の本妻と、なにかとぶつかり続け・・・挙句、本妻と口論の末、殺されかけます。

気を失った葵を、世間知らずな本妻は、自分が葵を殺したと信じこんでしまいます。

 

それを好機(?)として、叔父は自分の家に葵を戻さず、葵は遠方に住まわせます。
これ以上、本妻と葵が顔を合わせていたら、大切な葵が本当に命を奪われかねないと危惧したのです。
そして、叔父と葵の関係を守るために。

 

叔父は、葵は店のお金を持って、男と逃げたと店の者たちに伝えます。

それは本妻にとっては、自分が葵を殺したことを隠す行為に見えるわけです。

 

葵には息子がいました・・・小さな佐吉という名前の息子が。
けれども、佐吉にも真相は伝えられません。

 

自分の母親は、恩ある叔父を裏切って男と逃げた卑劣な女だと・・・

店の者たちから、本妻からも言われ・・・傷つきながらも、それでも自分を店に置いてくれる叔父に感謝し、

そんな母の分の恩も返そうとする素直な人間に育っていく・・・のです。

 

大人に成長し、結婚もしたある日、葵が生きていることを佐吉は知ります。
彼が母に会いにいった日、その直前、葵は何者かに殺されてしまっていて・・・と話は続いていきます。

 

興味のある方は、「ぼんくら」から読んでくださいね。
このお話は、ぼんくらシリーズの「日暮し」という小説です。

 

私は宮部みゆきの子どもを置いて出て行った葵への、仕置き、のようなものを感じました。

読者としては、佐吉に葵を会わせてあげたいんです。
佐吉の母親を慕う気持ちを…少しでも埋めてほしいと願うのですが…

 

宮部みゆきらしい、訴えかけがここにあると思いました。

 

私は、この葵の話を読んだとき、わが祖母と重なりました。

 

自分の幸せのために、子どもを置いていける母親

 

母性神話・・・

 

これがあるタイプの女性たちを苦しめるのは分かります。
けれども、母親に裏切られた子どもというのは、本当に深い傷を負うものです。

 

我が父の孤独。

その孤独が蝕んでいった妻(cocoママ)との関係、息子(coco兄)との関係・・・

 

祖母と父だけで終わらない・・・
いや、その後、会わなければ、終われたのかもしれない、終わってしまえばよかったのに。

 

祖母は父が家庭をもってから、再び強い勢力で自分のコントロール下に息子(cocoパパ)を置いたのです。

 

父を一人残していったのも、自分の都合

 

再度、現れたのも自分の都合

 

もし、大人になった私が祖母と話ができたとしたら、祖母の自己憐憫さに嫌悪するだろうと思っていた時があります。

 

けれども一方で、私にもその血は流れているのも事実です。

 

私は、自分の本質を知っています。
私は自分都合の嘘がとても上手です。

 

本質、特性を知っているが故に、自分の都合で、自分の子どもを捨ててしまうかもしれない・・・という恐れがなんとなしに幅をきかせています。

 

「愛情あふれるcocoちゃんは、そんなことしないわよ!」と身近な人はそう言ってくれるでしょう。

でも自分勝手な理由付けが、上手な私だから…そんなの分からない。

 

子どもはいない・・・けれども、私には大切なワンズがいる。
このコたちは、私がいなかったら、生きていけない。

 

でも、私に他に好きな人ができたら、相手も私を受けとめてくれたとしたら?

今の彼にワンズを渡して、私は自分にとって都合の良い生き方をするかもしれない。

そういう自分がいないなんて、言えない・・・。

 

ここまで考えて・・・なぜ、祖母が自分の息子を置いていけたのかが突然、理解できました。

それは…

 

祖母は自分の人生に失望したくなかったのだ

 

私は、ワンズを置いていくことは絶対にしない。
なぜならば、私は私自身に失望をしたくないから。
私は、ワンズと置いていくなんてことをしたら、自分を絶対に許さないだろう。

そんなことをしたら、心から、魂のそこから、私は自分という人間に失望するだろうと思い至りました。

 

祖母は自分の息子を置いていけた。
なぜならば、彼女にとって、貧乏な生活こそ、自分の人生ではなかったから。
そんな人生で終わる自分は失望でしかなかったから。

 

お姫さまとして、蝶よ花よと育てられ、本当に美しかった彼女にとって

 

息子のために働く自分、
ご飯のために働く自分は、
失望の毎日だったのだろう・・・

 

子どもと過ごす日々よりも、裕福な中にいる自分こそが、
彼女にとっては自分が自分でありえる姿だったのだと・・・
理解したのです。

 

 

想像力の欠如は共感性の欠如にもつながるのかもしれません。

 

これも、未学習の問題なのかもしれませんね。
想像力があれば、他者の気持ちに立って考えられる能力が発達していたならば、もっと異なった展開になったことでしょうね。

内容はどうあれ

 

「自分に失望したくない」

 

それが背景にあるのであれば・・・祖母の行為は仕方がないのだろう・・・と祖母への理解が深まりました。

 

人によって自分に期待すること、望むことは、異なります。

 

ただ・・・

最期の瞬間、祖母の息が止まる瞬間、彼女の瞳から涙が一粒、落ちたそうです。

 

最期の瞬間に、詫びても詫びても詫びることのできない、自分がおかした息子への非道な行いに気づいたのかもしれません。
(と、母が言っていました、「最後にね、泣いたのよ、あれはパパに対しての申し訳ないって気持ちよ!」って・・・)

 

私は、他者(他の生命)への優しさがない自分こそ失望という対象になりえること・・・
自分=他者であることを・・・
それが魂の本質であることを、多くの人が思い出してくれたらなぁ~願うのです。

 

おわり!

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