こんにちは。cocoです。
スピリチュアルメソッドでは、なんとなくお決まりのフレーズ
光と闇
これ・・・読み方を間違えると、めちゃ、相手を傷つけます。
スピリチュアルワークをされている方は、
高次元の存在と繋がり、メッセージを降ろしている
わけですから
「私が闇なわけないじゃん!」
って思うよね。
だから
めちゃんこ自分とFITしないもの、人、何かがあると
そっちを「闇」って反対側のあり方で判断してしまう。
そんな話は、Blogから離れている間に、終わっていたと思ったら、
まだまだまだまだ・・・継続しているのね。
地球はまだまだ二元性の世界だものね。
自分の中には、光も闇も存在し、
どこかの過去世で、私たちは、みんな、闇の役割をしている。
だからこそ、「闇」について、知っているし、「光」についても知っている。
だからこそ「闇」を嫌がる自分がいて、「光」を求める自分がいる。
そしてそれらを「統合」する役割な私たち
であることを、しっかり認識するの大切なのです。
人は、怒りを感じます。
他者や自身に不満を感じます、抱きます。
これを自分に向けられると、相手を闇だと認識する人、多いです。
そして、なぜか、周囲からみて
怒っているなぁ
という言動をしていても
本人は「私は怒ったことがない」という人、います。
それは自分が怒っていると認識する「怒り」の程度が
自分自身と他者の関係を崩壊させるほどの状態になって初めて
怒り
を認識できるからです。
こういうかたは、自分が怒っていると認識したときには、
もう、人間関係や自分が積み重ねてきたことが多い。
もしくは
怒っている自分を認めたくないので、
怒っている自分ではなく「悲しい私」に置き換えている場合があります。
周囲からは、どう見ても悲しんでいる態度ではないのに、
そのかたにとっては、「悲しい私」
に設定されている場合がある。
これも、自分の言動を俯瞰して見られていないので、人間関係が揺らいできたりします。
自分が何かを話して
周囲の誰かが「怒っているね」「怒っても仕方ないよね」と言った後に
「怒っていないよ」「私、怒ったことほとんどない」
と相手の言葉を否定している場合は、
上記を参照しながら、自分の振り返りをしてみてね。
光と闇は色々他にもかけるけど、今日はここまで。
素敵な時空間を!